Alma de Flamenco Hoy

故ホセ・バリオスからのメッセージ

"私にとってフラメンコとは、情熱、自由・・・、つまり感情のすべてなんだ。”人生”そのものといってもいい。フラメンコを愛し、研究し、入り込んでいくほどにフラメンコは、とても奥深いことに気づいていく。"

2020年8月25日私どもの長年のビジネスパートナーであり友人であったホセ・バリオス氏急逝の報せを受けました、享年45歳、死因は突然死です。
ホセ・バリオス氏の急逝について皆様に改めてここに記させていただきます。弊社代表吉川哲夫へ、ホセの故郷ゴルドバでのミサに出席したバイラオーラ、アナ・ゴンザレスより届いた2枚の写真とメール。その一部より。


「ホセは苦しむことなく自宅のベットで安らかに永遠の眠りについたということです。そして、今、彼の遺灰は故郷コルドバのこの大きな木の元で彼のお父さんと一緒に静かに眠っています。この木は、彼の遺灰によって、明るく朗らかで芸術的な大木へと育つことでしょう。そう、まるでホセのように。アナ・ゴンザレス」

私たちは、彼の死をまだ信じることができずにいます。
今でも、電話をすれば彼がオラ!と電話に出て、自分のアイディアやフラメンコに関するあらゆることを早口で、熱く語る声が聞こえてくる気がしてなりません。「いつでも、なんでも僕に聞いて!」そうホセはよく言ってくれました。2年前、ホセに、この記事を書きたいとインタビューをお願いした時にも、「写真でも動画も必要なものがあったらなんでも言ってよね!」、と、そしてお願いしたものは、凄まじい早さで送ってくれ、完成した記事に「どうもありがとう、嬉しいよ」と喜んでくれました。そして、「これからも、いつでも、なんでも僕に聞いてね!」、と。そんな風にして、ホセはフラメンコに関することならいつでも誰にでも、求められているもの以上を与えたいと思う、大きく、熱く、心優しい、かけがえのないのアーティストでした。「今度日本で、フラメンコの歴代のアーティストの写真や動画を見せながらフラメンコの偉大なアーティストを紹介するようなクラスをしてみたいんだ。」また、弊社では35周年記念としてホセ振付・出演によるの日本公演を企画していました。そんな最中のコロナ禍・・・。「フラメンコの歴史を讃えながら、新しいフラメンコの世界を創造してみたい」と語っていたホセの熱い眼差しが目に焼き付いています。彼が思い描く新しいフラメンコの世界とは一体どんな世界だったのでしょうか・・・。

以下の記事は、彼が2年前に私たちに遺してくれた言葉です。
フラメンコを愛する、学ぶ、全ての人々への。
2020.9.14 スペイン企画

マリア・パヘス舞踊団の第一舞踊手・振付師として世界中で活躍するJose Barrios(ホセ・バリオス)43歳。2015年にはスペインフラメンコ界でその年最も活躍した舞踊家を讃える「フラメンコ・オイ賞」男性舞踊家部門で最優秀賞受賞。世界をまたにかけ活躍するホセ・バリオスに、自身のフラメンコ感、フラメンコの現在、そして未来について聞いた。フラメンコを学ぶすべての人へ。そして、これから始めようとする人への熱いメッセージ。

Jose Barrios(ホセ・バリオス)
スペインのコルドバでフラメンコダンサーとしての活動を始める。アンダルシア地方にてフラメンコ界大物アーティスト フォスフォリートや歌い手のホセ・メルセと共演する。マドリッドを拠点として、カサ・パタス等多くのタブラオに出演の傍ら、数々の舞踊団に出演。現在、マリア・パヘス舞踊団の第一舞踊手・コーディネーター・振付師として活躍中。自身でもフラメンコ舞踊団を結成し、2010年、2011年アメリカやメキシコでツアー実施。2011年マリア・パヘス舞踊団ワールドツアーへ参加。2017年度には梅田芸術劇場主催の「カフェ・デル・ガト」の構成、演出、振り付けを担当、東京公演、大阪公演で大好評を得る。2015年、スペインフラメンコ界でその年最も活躍した舞踊家を讃える「フラメンコ・オイ賞」男性舞踊家部門で最優秀賞受賞。スペインフラメンコ界で最も注目される舞踊家の一人

ホセ・バリオスがインタビューのために大阪、スペイン企画のオフィスに到着したのは、2月初旬午後6時頃だった。スペイン企画の代表、吉川哲夫と組んで16年間、振付・演出を行う志摩スペイン村フラメンコショーの今年の開幕を無事に終え、少し疲労しているようにも見えたが、まだ興奮冷めやらぬ様子でドアを開けた。およそ1ヶ月の稽古を終えいよいよ明日帰国という日本最終日だった。

ホセの印象は、とても優しい人。出会った人は、皆一目で好きになってしまうような優しい微笑みで相手を一気に包み込む。でも、その瞳には底知れぬ情熱の塊のような奥深さもまた同時にある。決して偉ぶらず、ことフラメンコの話になると、どんな些細な感想や意見でもとても熱心に聞きたがる。謙虚というのでもない。自身のフラメンコをさらに進化させたい情熱とそのための努力を怠らない真面目さ。貪欲という言葉の方が彼にはふさわしいだろう。この貪欲さがきっと彼の輝かしいキャリアを築かせたに違いない。

ホセがはじめて来日したのは20年前。ホセが23歳の時。マリア・パヘス舞踊団に入団するずっと前、知人のつてで吉川と個人的に出会い意気投合。若いながらその実力は群を抜いていたという。そして、スタジオ「アルマ・デ・フラメンコ」に講師として来日した。

「テツオ(代表の吉川哲夫)が私を生徒の皆さんに紹介するときに、年配の生徒さんから私の孫くらいの子が来たわ!と笑いが起こった時、テツオが大丈夫、若いけどしっかり踊れるから心配しないでと言ってくれたのをよく覚えているよ。それくらい若い時だったんだね」とホセはインタビューを横で聞いていた吉川を横目で見て笑った。

聞き手:その時の、日本の生徒さんの印象は?
ホセ:とても印象的だったのは、「勤勉さ」。月曜日につけた振り付けを次の週には完璧に覚えていたんだ。私は、その勤勉さがとても好きだった。とても真面目に取り組み、できなければできるまで努力する。感激したよ。

20年前の初来日以来、吉川と組み京都大覚寺で行われ大々的に放映された「音舞台」で著名なベレン・マジャとの共演や、16年続いている志摩スペイン村のフラメンコショーの振付・演出など様々な舞台で日本の観客を魅了してきた。2015年には日本人ダンサーらを振付・演出した「カフェ・デル・ガト」(東京と大阪で公演)が記憶に新しい。

フラメンコとの出会いと魅力

聞き手:そもそも、なぜフラメンコを始めたのですか?
ホセ:私の姉がフラメンコを踊っていた。私にとっては最初のフラメンコの先生のようなものだった。映画やステージを見て好きになったとか、そういうことではなくて、気づいたらもう好きになっていた。「フラメンコと一緒に生まれてきた。」それが僕にとってはピッタリくる言葉かな。

私にとってフラメンコとは、情熱、自由・・・、つまり感情のすべてなんだ。人生そのものといってもいい。フラメンコを踊り始めると全てのことを忘れる。例えば、その日、指が痛かったとしても踊り出したら痛みは消えてしまう。フラメンコを愛し、研究し、入り込んでいくほどにフラメンコは、とても奥深いことに気づいていく。

フラメンコを踊りたい人達にもそのことをいつも伝えているんだよ。その奥深さについて。エクササイズとして踊るのももちろん良いのだけど、フラメンコに興味を持ったら次にフラメンコの知識についてもぜひ学んで欲しい、そのルーツやフラメンコが持っている豊かさについてね。それを知ることはとても大事なことだから。ただ単に振りを踊るのではなく、理解し、勉強して、知ること、がね。

20年前日本でティエントスやアレグリアスを唄いながら教えていた時「ホセ、この歌詞はなんと言っているの?」そう質問されることがとても嬉しかった。みなが知ろうという気持ちが伝わってきたから。歌詞が何を語っているのか、ティエントスとアレグリアスは何故違う風に踊るのか、そこにまずは疑問を持ってくれることが大事なことだと思うんだ。コルドバの舞踊学校でも例えばソロンゴとかカンティーニャスを教える時、まず曲のルーツを語り、そして振りに入る。曲に対する知識や好奇心は人の心を強く動かすからね。

本場スペインのフラメンコの現在

聞き手:スペインのフラメンコは昔とは随分変わってきていると聞きましたが、現代のフラメンコについてはどう感じていますか?

ホセ:フラメンコは常に進化し続けている。次の若い世代もさらに進化させている。昔ながらのフラメンコの形式や偉大な巨匠達と繋がりを持ちながら、同時に進化し続けているんだ。フラメンコはフレッシュで生きた芸術だ。

昔のフラメンコは踊り、ギター、カンテ、パーカッションが基本の形だった。でも今はバイオリンやサックスなどが取り入れられることもある。私の最近の作品ではエレキギターを伴奏に取り入れたんだ。フラメンコとの相性はとてもよく、作品を豊かにしてくれた。私自身は、いつも伝統的なフラメンコへの尊敬は念頭におきながらも、常に新しいものを取り入れるようにしているんだ。そうすることで、フラメンコが更に豊かになると信じているから。

世界の中でのフラメンコ

聞き手:マリア・パヘス舞踊団を中心に世界中の公演で出演や振付を行なっていますが、世界でフラメンコを上演する中で感じていることとは?
ホセ:フラメンコは全世界で愛されていると感じている。それは、フラメンコがとても情熱的で、人の感情に直接訴えかける優れた芸術だからなんだ。
でも、同時に退屈にするのは簡単なことでもあると言える。例えば、私にとっては単なるフラメンコギターやカンテのコンサートは退屈に感じる。踊りはまだ見て楽しめる側面があって好まれやすいけれど、1時間半のショーをもたせようと思ったらもっともっとたくさんの情報をお客さんに与えなければいけない。つまり、ソレアをひたすら20分踊り続ける訳にはいかないんだ。それは、テツオみたいな(笑)フラメンコが大好きな人にしか興味を持ってもらえない。フラメンコはより豊かに、そして進化させ続けなければいけない。スペイン以外の国で上演するときにはいつも感じることだよ。

お客さんには、次は何が起きるのだろうかとワクワク期待してもらいながら見てもらいたい。
僕は、ショーを見た後で「踊りが上手かったね」と言われるよりも、「なぜああなったのか」とあれこれ質問されることの方が嬉しいんだ。ショーを見てくれた人がどのように何をどのシーンで感じたのか、あのシーンで感動した、あそこで笑った・・・。いろんな意見を言ってもらいたいんだ。ショーそのものに興味を持ってくれること自体が嬉しいからね。

自身の、そしてフラメンコの未来

聞き手:今後のご自身の展望、そしてフラメンコの未来についてはどう思っていますか?

ホセ:次の作品のタイトルは「Clasico」この作品では様々なクラシックを題材に表現する。フラメンコにおいてのクラシックだけでなく絵画、映画、詩、音楽、全ての分野におけるクラシック。革新的でオープンで自由なフラメンコを創り上げたい。伝統的なフラメンコにも立ち返りながら、かつ新しい音楽、楽器を取り入れてフラメンコに興味がある観客だけでなく全ての観客に向けて開かれた作品になる。

フラメンコは、コンテンポラリーダンスやクラシックダンス、クラシック音楽、ジャズといった様々なジャンルのフェスティバルで上演されることが可能な芸術だと思っている。フラメンコのフェスティバルに限らずね。だから、もっと全世界のフェスティバルに向けて作品を発表していきたいんだ。

それには、フラメンコの衣装ももっとビジュアル的に新しくしていく必要がある。一目でフラメンコだとわかる伝統的なものや闘牛士の格好をして舞台に出ていくのではなく、斬新な衣装で観客を驚かせたい。アメリカのシアトルでは私の作品の中で、僕はギャバジン(トレンチコートなどに用いられる素材)を着て踊った。新しくて、しかも日常的で誰もが着られるものを取り入れたかったんだ。観客は気に入ってくれたようだった。

また、マイアミでは二脚の椅子を二段に重ね、その上に帽子と杖を置き、それに向かって踊った。その椅子と帽子と杖は私の父のメタファーだ。つまり、私は父と踊っていたんだ。その表現は注目を集めて、フラメンコに親しくないコンテンポラリーのダンサーも大変興味を持ってくれたようだった。こんな風にして、これまでにない表現を取り入れることでフラメンコ以外のお客さんも含め皆の注目を集めることが僕自身にとっても、フラメンコの未来にとっても大事なことだと思っているんだ。

フラメンコを学ぶ人、これから始めようとする人へ

聞き手:日本ではフラメンコブームが去り、新しくフラメンコを始めようとする人が減っているという現状があります。その中でフラメンコを学んでいる人へ、これから始めようとする人へのメッセージをお願いします。

ホセ:フラメンコを始める人が少なくなっていると聞くと悲しくなるね。でも、実は日本だけではないんだ。ドイツでも月刊のフラメンコ雑誌が閉刊してしまったりね。全世界的に巻き起こったフラメンコブームが今は世界的に落ち込んでいるのは事実だ。でも、そんなことを嘆いてはいられないので私たちが持ち上げていかなければいけないと使命感を感じてもいる。人々にまた興味を持ってもらえるようにね。

フラメンコは、ただ振付を踊って終わりの芸術ではない。例えば、ブレリアを踊って終わりではないんだ。カンテやギターや全てが合わさって、ルーツに裏打ちされたあらゆる感情を雄弁に物語る。その奥にはもっともっと深い、何かがある。1人でも多くの人に、フラメンコに興味を持ってもらい、フラメンコが訴えているその深さを理解して欲しいし、感じて欲しい。

文章:吉川麻衣子(映像ディレクター・ノンフィクションライター)
テレビのドキュメンタリー番組の演出や人物のルポを数々手がける。代表作「テレビエッセーおやじの背中~宮本亜門 大嫌いだった父へ~」マガジン連載「時代劇を支えた男達」など。現在は父・吉川哲夫の元で幼少の頃からフラメンコに触れてきた経験を生かしフラメンコに関するルポの執筆を中心に活動中。

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